料理、旅、人生哲学、イタリアが好き。きゃろらいんのプロフィール
はじめましての皆様こんにちは、当ブログ執筆者きゃろらいんと申します。ブログを本気で書き始めるぞ!ということで詳細プロフィールを書いてみます。。。
1995年生まれ 栃木県出身の22歳
地元の進学校に進むも高校の勉強の仕方が大学進学するための、センター試験に受かるための勉強、そしてあらゆる方面でまわりと同じでいなければならないことに疲れ高校2年生が終わった3月に転出。
自由の森学園高校で高校2年生をやり直す形で転入。2015年3月卒業、
その年の4月から一年半イタリア、ローマに単身留学。0からイタリア語を現地で学ぶ。
その後一年半トスカーナ地方に料理留学。1年間レストランのキッチンでインターンとして働くも就労のビザの関係で帰国。(2018年5月現在)
現在 イタリア留学で身につけた語学、滞在ノウハウ、留学についてのアドバイス、また旅行、留学に関するお手続きのお手伝いなどで生計を立てていけないかと模索しています。
イタリアに興味がある方、イタリア語の先生が必要な方、どのような小さなことでもまずはお問い合わせください。
現在お仕事のご依頼受付中です。
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ここからはわたしがきゃろらいんとして自我を確立し現在に至るまでのおはなし
- 小学生の時からやっぱり浮いていた
- 中学時代 ジャニオタになる
- 栃木の共学高校の中で1番の高校に入る
- 授業についていけない+自我の確立
- 自由の森学園との出会い
- 自分と同い年の学生たちの輝く姿に感動
- 家族、教師、学校の友達からの反対
- 自由の森に入って自由に「自分を表現する」ことに出会う。
- 高校を卒業と同時にイタリアはローマへ
小学生の時からやっぱり浮いていた
小学校は地元の小学校へ行きました。でも記憶として若干浮いていた感があります。
小学校の時は、そろばん教室に通い、硬筆毛筆検定の勉強もしました。
だから今でも字は上手い方。
小学1年から空手も習い始めました。この二つは自分の意思。
もう一つ、小さい時から(たぶん5歳とか?)ピアノ教室に行っていました。
小学校終わるまでかな?こちらは母親の勧め。
かなりの期間習っていたのに全くうまくなりませんでした。
その代わり歌を歌うことが好きになりました。
そして自分は小学校を卒業したら作新学院の中学に行くんだ、と決意。
勉強頑張りました。(このとき作新に行きたかったのはやっぱりあこがれと、地元の中学に行ったら浮いてるやつ、調子こいてるやつはいじめられるって聞いていたから。)
中学時代 ジャニオタになる
中学校はあんまり悪い記憶がありません。
中2くらいからJELLY(お姉さん系ギャル雑誌)を読み始めました。
そしてジャニーズに目覚めた。当時は山Pが大好きでした。
まあ今見ても山Pはイケメン。
このあたりはいい意味で変わってる人も多くて楽しかった記憶。
進学先の高校は、当時親友に誘われて行った高校サッカーの試合を見てかっこいい選手が多い高校をチョイス。
人生で詰め込み一番勉強したのもこの時期かな。
栃木の共学高校の中で1番の高校に入る
勉強と己のマインドコントロールにより、地元では有数の進学校に進学。
今よく考えるときっと入れたのはギリギリの点数。だからこそ入ってから地獄見ました。
授業についていけない+自我の確立
ここで勉強につまづくまで、わたしは自分が勉強が好きなんだと思っていました。
少なくとも嫌いではない。そう思っていました。
しかし高校に入ってみるとまわりは自分より全然はるかに頭が良くて勉強する要領がいい。気がつくと成績は後ろから数える方が早くなりました。
そして、高校の勉強は大学入試でいい点数を取るためのもの、生徒一人一人がどんな人間で、どんな夢を持っていて、どんなことが好きで、どんなことを大切に生きているのか、そんなことに全く価値はなかった。
だからこそ、成績が生徒を測る唯一の物差しだからこそ、成績が悪く、学校の教育方針に逆らう生徒は学校にとってゴミ以外の何物でもありませんでした。
気がつくとわたしは学校に行くことが嫌になり、そこから逃げ出す方法を考えていました。
時を同じくして自分の弟も不登校になりました。理由は未だにわかりません。
ですが、このとき弟が不登校になったおかげでわたしは一番大好きな人たちに会う場所に出会うことになるました。
自由の森学園との出会い
弟が本格的に不登校になり、心配した母親が転校先にここはどうかと持ってきたのが自由の森学園のパンフレットでした。
パンフレットを読み進めると、そこはわたしがそれまで持っていた学力に対するコンプレックスや、自分らしくいたいのにそう振舞えない日頃の鬱憤を全部まとめて取り去ってくれる、そんな場所に思えました。
わたしは早速学校見学に行くべく、音楽祭に行ってみるのでした。
自分と同い年の学生たちの輝く姿に感動
自由の森学園はまさに山の中にひっそりとその姿を隠しています。
はじめて行ったときはほんとにこんな山の中に??という感じでしたね。
とくもかくにも、たどり着いた先で見たのは、
自分と同じ年の高校生たちが自由なスタイルで自分を表現し、
自分を楽しんでいる光景。
正直、わたしってなんてつまらないところに普段いるんだろうとも思ったし、
すごく彼らがうらやましくなりました。
その場でわたしはこの学校に絶対通うんだと心に誓いました。
家族、教師、学校の友達からの反対
わたしはそれからすぐに学校を転校するべく情報収集を始めました。
そこでわかったのは高校3年生から転入することはできないということ。
(学校の教育理念を理解してもらうため1年半以上の在学期間が必要とのこと。)
そこでわたしは高校2年をやり直す形で転校したい旨を家族、学校の教師、友人たちに相談しました。
はじめ帰ってきた言葉は、
あと1年我慢すれば大学に行ける。
です。
両親は良く考えて、ほんとうにそうしたいならお前の好きにしなさいと言ってくれましたが、
学校の教師にはそう言われて愕然としたのを覚えています。
こんな風に自分自身を表現するのをやめてまで大学に行く勉強をして、とくに学びたいことがあるわけでもないのに。。。
学校の教師陣がどれだけわたしのことを適当に考えているかが見えていよいよ絶望しました。学校の将来いい大学に行って安泰な人生をおくるであろう友人たちにも同じことを言われました。
そしてわたしは高校2年で進学校をやめます。
自由の森に入って自由に「自分を表現する」ことに出会う。
これに関してはまた別に記事にしようと思います。
なにせ自由の森には感謝してもしきれないたくさんの思い出、感情があるので。
高校を卒業と同時にイタリアはローマへ
単身イタリアはローマに留学に行きました。
イタリア留学についてはくわしくまた別の記事で書く予定です。
その後、合計3年間のイタリア留学から1ヶ月前に帰国(2018年5月現在)
現在 イタリア留学で身につけた語学、滞在ノウハウ、留学についてのアドバイス、また旅行、留学に関するお手続きのお手伝いなどで生計を立てていけないかと模索しています。
イタリアに興味がある方、イタリア語の先生が必要な方、どのような小さなことでもまずはお問い合わせください。
おまけ
きゃろらいんの名前の由来は漫画 Paradise Kiss
わたしのあだ名がきゃろらいんになったのは、じゃにおただったからなのです。じゃにおたは他のオタクと交流する際本名ではなく通り名を使います。
かわいい名前を探していたある日、漫画Paradise Kissを読みこれからわたしのあだ名はきゃろらいんだ!カタカナじゃ可愛くない!ひらがなできゃろらいんだ!ということで落ち着き、かれこれ5年以上わたしのともだちはわたしをきゃろと呼びます。
ではまたお会いしましょう!Ciaooo!